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「久し振りに”幻日”が現れる」

2014331_003  昼間、自転車をこいで東郷まで走りましたが、その日の夕方、窓から差し込む夕日を見ようと海辺を望むと・・・・おや、おや”幻日”が水平線の上に現れていました。”幻日”を見たのは2012年7月3日以来のことです。慌ててカメラを取り出し狙ってみました。
 虹のように淡い光をカメラに納めるのは、なかなか難しいことです。まず、短時間に現れる現象ですから、急いで撮らなければなりません。さらに、上手く撮影するには絞りをコントロールしなければなりません。「慌てない、慌てない!」と思いつつ、友人から頂いたカメラを取り出して被写体を狙いました。しかし、なにせまだカメラの操作が頭に入っていません。「慌てない、慌てない!」といいつつも焦ります。こんな時の太陽は思ったより早く水平線に沈んでいくような気がします。
 露出補正のボタン操作を取説で探す暇はありません(汗)。さて、どうするか。非常手段です。明るい空の方にレンズを向け、シャッターボタンを半押しにします。すると、ピントと露出が固定されます。明るい場所にレンズを向けたので絞りはアンダーとなります。ちょうど露出 補正でアンダー2014331_004側に調節したのと同じ原理となります。そこで数枚の写2014331_005真を撮りました。何とか撮れたようです。このような景色は、ここ福津に来なければ見ることができないものでした。何かご褒美をもらったような、得をしたような気分でしたね。フーッ!

「福間から東郷へ自転車の旅」

002  福津市役所の桜は満開です。掲載写真はJR鹿児島009本線と福津市役所の桜です。時々撮り鉄さんがいるポイントでもあります。通過中の電車は鳥栖行きの普通電車(福間駅10時47分)です。電車に乗っている人は、途中あちことで満開の桜を見ていることでしょう。
 さて今日は、福津市から宗像市東郷まで、旧3号線(現県道97号線)をレンタル自転車で走ってみたいと思います。目的地は母校の宗像高校です。
 JR福間駅から出発すると、やがて「手光(てびか)」の交差点とバス停を通過します。手光の交差点から新し006いバイパスが「太郎丸」へと出来たので風景は昔と一変しています。ただし、このバス停とそこにある古墳(手光波切不動古墳)は昔の面影を残しています。
 手光からさら に北九州方面へと向かうと、「通り堂(どおりどう)」010_2 を経てJR東福間駅へ着きます。道を挟んだ反対側の公園には見事な桜が咲いていました。高校~大学くらいの時に宅地造成 が行われた場所なので、この桜は50歳くらいになるのでしょうかね。
011  JR東福間駅前を通過すると「白水峠(しらみずとうげ)」への緩やかな上り坂が続きます。県道沿いには「桜公園」があり、道行く人々の目を楽しませています。当時は人家の乏しい峠でしたが、この峠を越えれば「宗像市」です。017
 この辺りが「神興(じんごう)」と呼ばれるところで、地名の「東郷」「南郷」「西郷」の中心地です。恐らくは宗像大社の三女神と因縁の深い場所だと考えられます。神興と隣接する八並(やつなみ)に014 019  は「的原宮」があり、大国主命が奉られています。なぜここに大国主命?と不思議がっている間に「村山田(むらやまだ)」へと一気に駆け下りてきます。右手にJR鹿児島本線が平行に走っているので、写真のように列車を眺めながら走ることができます。白いソニックの車体が緑に映えます。背景の山合には桜が見えます。のどかです。
   「村山田」を過ぎるとやがてJR東郷駅が近づい031て来ます。宗 像高校生でJRを利用する生徒達はこの駅を利用します。しかし、駅から高校までは、歩くと30分(以上?)024はかかります。雨でも降れば、靴もズボンもずぶ濡れでしょう。もちろん、バスを利用すればいいのですが、そうすると交通費がバカになりまません。なぜ、こんな辺鄙な場所に駅を作ったかはだいたいお分かりでしょう。機関車 が走り始めた当時、人達は町が汚されると考えて町並みから遠い場所に駅を設置したのでした。JR赤間駅もしかりです。駅北口近辺は何とも殺風040景な風情です。佃煮の花田食品は移転しているようです。何だかさみしい風景ですが、駅南口(日の里側)はそれなりに華やかだと思います。今日は行き021ませんが。
 さて、東郷駅の坂を下りて旧3号線に再び出ましょう。ここから右へ進路を取ると日の里団地の方へ033向かいますが、高校生は派出所や東郷小学校の前を通って町並みに沿って歩きます。「田熊」のバス停の前にスポーツ 用品店がありますが、昔ここは農機具メーカーのクボタの店だったと思います。さらに歩いて行くと「チャイルドハウス」の名を冠した託児所がありますが、ここは確か「内田書店」があった場所ですね。高校の頃は、時折立ち寄ってました。良く立ち寄っていた片山レコード店は・・・・ありませんね。
 さて高校が近づいてきました。旧3号線から右へ曲がると吉武059 文具書店がまだありますねぇ!私037たちが通っていた頃は、高校の正門はこの写真よりもっと遠くにありました。現在、この入口は正門でなく裏門(?)になっています。入ると広い駐輪場があり、グラウンドへと入れます。
 高校の建物は、私達が学んだ木造校舎から数え てすでに2回目のコンクリート棟です。現在の正面玄関は、昔の被服科があった方の入口(裏口)に作られています。石碑には校訓の「質実剛健 自彊不息(じきょうやまず)」と記されています。しか056し、おやおや、平成27年4月から「中高一貫046校」へ姿を変えるのですね。この校訓は活かされるのでしょうか?校歌の「千載揺るがぬ四塚の峰・・・♪」は歌い継がれるのでしょうかね。今日は春休みで、校庭には部活の生徒達だけで閑散としていました。見回しても懐かしむような風景はありません。少しさみしい気分で学校をあとにしました。また、友人と訪れてみましょう。

「福津市役所の桜が満開!」

2  今週は、気温が高い日が続いたので桜が一気に開花しました。全国的に桜が野山を彩っていることでしょう。 3
 ここ福岡県福津市でも、蕾が一斉に花を開きました。愛犬と近くの市役所の桜を観に行くと見事に満開の装いです。市役所の周りには50本(それ以上かも)ほどの桜の木がありますが、申し合わせたように”満開”です。JR鹿児島本線沿いにもありますので、列車からも見事な桜が見えることでしょう。
 学生達はまもなく新学期や入学式を迎えます。その頃には散っ4 ているかも知れませんが、やはり年度の初めには”桜の花”がつきものですね。歌声喫茶の時にも話したのですが、日本特有の「年度」の区切りは桜の開花に合わせて作られたので6はないかと思ってしまいます。
 赤間小学校に入学 し、年度を重ね、卒業し・・・旧赤間小学校は一段高いところにあり、その斜面には桜の木が植えられていました。それで、年度の変わり目には否が応でも桜吹雪の演出があります。風に飛ばされた花びらで、桜の絨毯が運動場に出来ていました。
 赤間は出光興産の創始者”出光佐三”が生まれた町ですから、赤間小学校の図書館やプールは寄贈されて作られ9_2たと聞いていました。ある時は、墓参に来られた折に長谷川一夫が同行していて、町中とんだ大騒ぎになりましたよ。現在の小学校は、それから数キロ離れたところに位置しています。そして昔 の小学校跡地に、城山中学校が位置しています。昔は、小学校のグラウンドを挟んで小学校と中学校が並んでいました。桜の花を見る度に、そ んな風景がよみがえります。
 さて、福津市役所の桜ですが、よく見ると、薄ピンク色の花をつけるソメイヨシノと並んで、少し白く見える桜の花が咲いているのが分かります。どうやらオオシマザクラも植えられているようです。オオシマザクラは、柔らかい緑の葉を花と一緒に出します。花芽と葉芽が同時に目を覚ますのですね。この若い葉を塩漬けにしたものを使って”桜餅”ができあがります。ああ、なんだか桜餅が食べたくなったなあ!(写真は携帯のカメラで撮ったものです)

「春の夕陽は鈍くて・・・」

019  桜の開花が各地で一斉に報じられています。列島が晴天に包まれ、気温が高くなったからでしょう。春は、なぜかウキウキする季節です。でも、日陰に入ると空気はひんやりなんです。桜が艶やかに彩りを添えるこの季節ですが、一方で、人々が別れと出会いを迎える時でもあります。希望と不安、その二面を併せ持った季節とも言えます。
 高校の卒業式を終えた日、校門の前にあった小さな池(蓮池)に、友人と二人で制帽を投げ込みました。今の高校生は帽子をかぶりませんが、当時は校章の入った制帽をかぶるのが決まりでした。その、高校生活を象徴する帽子を脱ぎ捨てて、新しい自分へ脱皮するんだ。もう、妙な校則に縛られた高026校生活ともお別れなんだ!そんな気分で投げ込んだ気がします。今振り返ると、そんなことすら”甘えん坊”のガキのする”自己陶酔”の時間でしかなかったようですね。大人になったつもりでしたが、結局は親の擁護なしでは歩けない”ひよこ”の時間がしばらく続くわけですから。思い返せば、苦笑いのワン・シーンです。時折、一緒に投げ込んだ友人とその事を話します。二人して「あの帽子、投げ込まんで取っとけばよかったねぇ!」と単に勢いでやってしまった行為を後悔しています (笑)。
 そんなこんな遠い記憶を手繰り寄せている間に、夕陽が玄界灘に沈んでいきます。この季節(春分)の太陽は、ちょうど真東から出て真西に沈みます。春霞のために鮮やかな夕焼けにはならず、反照が消されて血のような太陽が相島をかすめて沈んでいきます。「あした天気にな~れ!」

「東郷公園の桜はまだまだ・・・」

Ds2  買い物ついでに東郷公園の桜の開花を確かめに行っ4てみました 。
 晴天ではありますが、全天、PM2.5や黄砂のためか霞んでいます。通称、東郷公園は、日本海海戦で活躍した東郷平八郎を祀る東郷神社があるのでそのように呼びます。ただし、この神社は故人が建てたと聞いています。Wikipediaによれば「生前に東郷と親交があり、東郷の偉業に感銘した宗像郡津屋崎町(福津市の前身)出身の獣医師安部正弘の提唱によって1971年(昭和46年)5月に創建されました」と記されています。しかし、私が高校の頃(昭和39~41年)にはすでにあったように記憶しているのですが記憶違いかなあ?高校の定期考査が終わった日に、よく友人達1 と公園や磯遊びに行っていた時に、東郷神社はすでに存在していたように記憶しているのですけれども・・・。
 さて、桜ですが、残念ながらぽつりぽつりとしか咲いていず、花見をするには寂しい咲き方でした。それでも日向の芝生で、子供連れの家族が弁当を広げていました。ぽかぽか陽気の春の日差しが、そのような遠足気分にさせるのでしょうね。
 桜は今週の土・日曜日あたりが見頃でしょう。雨が降らなければ満開でしょうね。
 やはり、桜の花が咲くと、気分が華やいできますね。下戸なんですが、ただ花の下を歩くだけでのんびりした、開放的で幸せな気分になります。それこそ鼻歌(=花歌)のひとつでも歌いたくなる幸福感に浸ることができますね。満開の時はもちろんのこと、一陣の風で舞い上がる”花吹雪”も魅力的です。ここ東郷公園は山桜とソメイヨシノのようですが、桜餅に使う萌黄色の葉と、白っぽい花が同時に開く大島桜も素敵です。「春が来た、春が来た、どこに来た…♪」桜の花を見ると、日本人で良かった~と思うのであります!

「PM2.5にも負けず、団十郎君の散歩」

008  昨日3月19日、福岡では全国2番目に”桜の開花宣言”が出され004 ました。ただし、ここ九州北部は、連日ひどい”春霞”です。言わずと知れた”黄砂+花粉+PM2.5”のトリプル・パンチです。朝のTV報道番組では、朝洗車したはずの車のボンネットに、すでに”春霞三兄弟”が付着しているようすが紹介されていました。アレルギー疾患の方には最悪の時期の到来です。これから4月にかけてが正念場となります。
 それでも昨日は、”春の陽気”に誘われて散歩にでかけました。県道30号線(一部旧国道3号線)に沿って、若宮~飯塚へ抜ける道へと歩きます。JR鹿児島本線の上を跨線橋があります006が、橋は渡らずに小さな坂を下って線路沿いをJR福間駅方面へ。
 道端には、生気を取り戻した雑草たちが元気に背伸 びをしています。「もうすぐ、春ですね~♪」と、キク科の黄色の花があちこち に天をついて咲010いています。団十郎はそんなことにはお構いなく、せっせと前へと歩きます。やがてJR福間駅です。
 散歩コースはいくつかありますが、福間駅コースはよく行くコースです。場合によっては駅構内を歩いて反対側へ出たり、駅前で”社会化”の訓 練をします。人や車の音に慣れさせるためです。よく”可愛いねぇ”などと声をかけて下さる方がおいでにな009るのですが、つい吠えてしまいます。やはり”犬”なんですね。飼い主がいるから強気にな011ります。
 マンションの前まで帰ると、公園にお友達の”マーシャ君”がいました。年下のマーシャ君は先輩にご挨拶(土下座?)です。”団十郎”の偉そうなこと!でも、うれしそうな顔です。お互い、吠えずにじゃれ合います!マーシャ君はいつも小ぎれいにしてもらっていますが、土下座したら汚れてしまいますよ~!

「”朋有り、遠方より来たる”か?」

Photo_2 「子曰、学而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎」
 漢文は苦手だった。覚えるのが面倒で、古文とともに”こてんこてん(古典古典)”にやられた。なぜ、使われてもいない死語を勉強するのかが分からない。当時は電子工学が急速に進歩していた時代だったか003 ら、私の興味関心は理工学分野のみだった。
 その論語が、今、頭の中をぐるぐる回っています。「朋有り、遠方より来たる」
 人の縁は不思議なものです。縁のある人間同士は、どんなに時間と空間の隔たりがあっても、どこかで出会ってしまい、今生の時間の中で成し遂げなければならない目的を思い起こさせるのです。今、それを突きつけられている気がします。
 その友人から今朝、嬉しい贈り物が届きました。私と妻に”コーヒー茶碗”、益子焼きだそうだ。それと、私が古いコンデジを使っていることを知っているので、使わなくなった彼のデジカメを送ってきてくれた(掲載写真)。どうやら、先日送っていたUSBメモリーのお礼らしい。嬉しい気遣いです。USBメモリーには、The BeatlesやOldiesの曲を1000曲近くMP3ファイルにして入れておきました。私たちが、元気溢れる時間を過ごした時代に流れていた音楽です。それを聴けば、当時の仲間たちの顔や声が一緒に聞こえてきます。しばし、目をつむって時間をさかのぼってくれるでしょう。
009  早速、カップにコーヒーを入れて呑んでいます。ついでに取説を見ながら”団十郎”を撮影してみました。う~ん、暗くてシャッタースピードが遅かったのでぶれたかも知れませんが、なかなか良好です。
 友人は帰れない事情があるのかも知れませんが、論語のごとく”朋有り、遠方より来たる。また楽しからずや”となりたいものです。

 訳:先生が言われた。「学びながら、適当な時期に復習をすることは心嬉しいことだ。(復習のたびに学習が向上するから)友人が遠い所から訪ねて来る。いかにも楽しいことだ。人に理解されなくても気にしない。いかにも君子だ。(凡人にはできないことだから)

「”なごみ”3月度の歌声喫茶」

312_008   3月8日に続いて、今日は”なごみ”での3月度の歌声喫茶の日です。昼間は気温が高く、空も明るく晴れていました。その性かどうか分かりませんが、予定の2時より30分以上も早く座席が満席になりました。そこで今日は15分ほど早く会を始めることにしました。312_011
 昨日は、東日本大震災から3年が経つ日でした。TVでは慰霊祭の模様が流れていました。午後2時46分、地震発生の時刻に黙祷を捧げる儀式が全国的に行われていたようです。ここ福津市でもアナウンスが流れていましたが・・・、実は同じ時刻に”福岡県公立高校入試”が行われていたのですが受験生は黙祷をしたのでしょうかね?
 さて、歌声喫茶ですが、3~4月は”春の歌”を集めた歌集を使います。やはり、春の歌は、自然と明るくなるような歌ですね。「春よ来い」「春が来た」「花」「花312_017 の街」等々。皆さんの声も、明るく弾んでいます。明るければ、雰囲気も自ずと活気を帯びてきて、笑顔が多くなります。やはり、312_015 春は嬉しいものですね。私も余計にしゃべって歌いました。終わってからの疲れ方が違いました。エネルギー消費が大きかったのでしょう(笑)。
 お相手をしてくれたのは上野君と、マネージャーを務めてくれている上田君です。毎回、準備と運営を手伝ってくれます。有り難い相棒達です。
 お客さんの中に、音楽仲間の、グループ・ホームで働く看護師さんが入居者3人を連れて参加していました。何と、その内の二人が、私の高校の先輩だという事が分かってびっくりです。先輩というより、大先輩ですが!
 気温が高く、大変過ごしやすく、会もスムースに進みました。予定の3時半が来たので終わりましたが、天気はずっと良好のままでした。しかし、夜から明日にかけては”春の嵐”が訪れるという予報です。現在夜10時過ぎですが、道路が雨で濡れています。東北の方では”春一番”が吹いたようです。大荒れにならないことを祈りつつ、ブログを終わりたいと思います。
 そうそう、STAP細胞の論文が騒動になっていますが、小保方さん、何があったか正直に説明してくれませんかねえ。慌てて論文を書いたばっかりに、コピペが問題視されるに至ったように予想されるのですが・・・。世界的にセンセーショナルな科学的発見なだけに無事に収拾が付くことを願ってやみません。「ガンバレ、小保方&理研!」

「古賀市舞の里で出張”歌声喫茶”」

Img_1379  毎月、福津市津屋崎”なごみ”で開催される”歌声喫茶”でImg_1386すが(3月は12日が予定)、そこに顔を出される方から「古賀市舞の里」での”歌声喫茶”開催を依頼されたのは昨年の10月頃でしたか?で、今日がその日でした。
 古賀市は、私が住む福津市と隣接する市で、舞の里はその中でも最も福津市に近い所に位置している区域です。そこの集会所で10時半からの開始でした。
 舞の里は1丁目から5丁目まであり、毎月、お年寄りとの親睦や地域の人々による支援を目的に、集会所を持ち回りしながら種々の催しが執り行われているようです。私たちの歌や演奏が、その活動に少しでもお役に立てば嬉しい限りです。
 会場の集会所は、公園に隣接した明るく開放的な場所です。そこでお集まりの30名ほどの方々と小一時間、歌とお話でお付き合いしました。地域活動のスタッフの方々も一緒に、あれこれ言葉でやりとりしたり、一緒に大きな声を出して楽しみました。
 Img_1388 声で賑わった後は、スタッフの皆さんが作られた愛情溢れる昼ご飯をご馳走になりました。窓を広くとった集会所は、光がたくさん入り、とても開放的で明るい空間となっています。壁は木の板が全面に張られ、なかなかすてきな空間を演出していました。明るい日差しが室内に入ってきますから、気持ちがいいですね。
 食事を終え、1時前にはおいとましました。御用達の「愛犬の美容室”Happy”」さんで、我が家の愛犬”団十郎”君がカットしてもらっているので、迎えに行って帰路につきました。

 今回の舞の里地区の皆さんは、とても熱心に地区の活動に取り組んでおられる印象でした。明るく、健康的な雰囲気を、地区のスタッフの皆さんが積極的に作り出し、昔風に表現すれば”向こう三軒両隣”が意思の疎通をしっかり行い、お年寄りを”尊敬”しつつ生活をフォローしておられましたね。その親密さはうらやましく思いました。フォローする方もされる方も、共に笑顔があるのが良いですね!

「3月5日の大気のようす」

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 先日は、雨が上がった後で久し振りに澄み切った空を見ることができました(3月3日)。しかし、今日3月5日の同じ方角の空を御覧下さい。また、3月1日に掲載した写真と同じ状態に逆戻りしました。気圧配置が冬型に戻り、北西の季節風にのって空中浮遊物が大陸からやってきたのでしょう。時期的には”黄砂”も含んでいますし、さらに悪いことにはスギ花粉が飛散していますから”三重苦”となっています。道を歩く人、あるいはドライバーまでが大きなマスクをしています。私は犬の散歩にほぼ毎日出ていますが、マスクは面倒で着けません。私は”犬アレルギー”(???)ですから外に出ても大丈夫なんです(笑)。
 話は変わりますが、ウクライナの情勢が緊迫してきました。タイの反政府デモもまだ予断を許さない状況です。国内では、日本海沿岸で深海魚やダイオウイカが採れ、季節外れの大雪が降り、富士山の山体膨張が観測されて天変地異の予感?あるいは、またもや長距離バスの大事故に通り魔事件と、気の滅入るニュースばかりが続きます。よって、近頃はTVの付けっぱなしは止めて、音楽に浸るようにしています。せめて、その時間だけでも忘我の境地でいられますからね。
 今、私の居る空間に満ちている音楽は、マーラーの交響曲3番ニ短調です。マーラーの弟子であり、親友であった指揮者のブルーノ・ワルターによれば、この交響曲は”自然”を音楽にしたもので《交響曲第3番「自然」》とでも呼べるものです。別名《角笛交響曲》とも呼びます。ワルターの指揮で聴きたいところですがそのCDを持ちませんので小澤征爾、ボストン交響楽団で代用です。6楽章からなり、長大な演奏時間(1時間半以上)を要する曲でもあります。

雨が上がり、やっと視界がもどった!

010  今日は、三月三日”ひな祭り”の日ですね。すこし寝ぼけたような日差しですが、今日は、昨日の雨が大気を洗浄してくれたお陰で、久し振りに海に浮かぶ「玄界島」や「相島(あいのしま)」が見えます。写真では確認できませんが、さらに沖合の「小呂島(おろのしま)」まで見ることができます。世界遺産登録で騒いでいる宗像市の「沖ノ島」は、ここからは生憎、津屋崎半島の影になって見えません。

 海の正倉院と呼ばれる「沖ノ島」は、別名を「不言島(おいわずじま)」とか「不言様(おいわずさま)」と呼び、そこで見たことをしゃべってはいけないし、一木一草たりとも持ち出してはいけないと言われてきた宗像大社の「神域」です。そのために、大陸から運んで一時保管していた宝物は、発掘調査まで盗まれることなく残ったのでした。調査によって見つかった品々は、現在、宗像大社の宝物殿「神宝館」で見ることができます。「沖ノ島」は本来無人島ですが、宗像大社の神職がただ一人沖津宮005を守るために生活しています。電気はもちろんありませんでしたが、現在は自家発電で灯りと冷蔵庫くらいは使用できるそうですよ。後は神事を執り行うことが日課となります。嵐の日などは心細いでしょうね。

  玄界島は、2005年3月20日に起きた「福岡西方沖地震」の震源地となったところです。まもなく9年が経過するのですね。私は福岡市にいましたので、人生ではじめて震度5弱の揺れを経験しました。最大震度は6弱だったようです。しばらく、夜中の揺れ(余震)は心臓に悪かったですね。

 さて、ひな祭りの日ですので我が家も可愛い雛人形を飾りました。 元は、災厄を逃れるための人型の紙人形だった(?)のでしょうかね。小さい頃、宗像大社(?)から回ってくる「人型の紙人形」に息を吹きかけ、近くを流れる釣川へ流しに行っていた記憶があります(定かではありませんが・・・汗)。あれはひな祭りの日だったかしら?遠い記憶の断片です。

 

「今日で三日連続の”視界不良”」

001  三日前から、午前中に視界が悪くなる天気が続いています。気002 温が上がってくると若干は改善されます。
 春先はとかく空が”かすみ”がちですが、冬場に中国大陸から吹き寄せられてくるPM2.5の影響は確かにあるでしょう。この掲載写真は、2月27日の朝7時過ぎに新聞を取りに出た時に撮影したものです。ドアを開けると”石炭臭”が感じられました。子供の頃、風呂を湧かす時に石炭を炊いていたので石炭の煙の臭いはよく覚えています。アレルギー性鼻炎のために鈍感になっている鼻にも感じられたの003 ですから、確かに遠く中国大陸から来たものでしょう。ご近所では石炭を焚いている家などはもはやありません。 004
 まあ、”石炭臭”だという確たる証拠はありませんが、10年以上も前(福岡市内にいた頃)には、同様の大気汚染が問題視されていた朝に”化学薬品臭”を感じたことがあります。アレルギー性鼻炎とはいえ、起きてすぐは嗅覚は鋭敏なんですよ。私は鼻がでかい性もあってか、比較的嗅覚が優れていて、数件隣の家のガス漏れを005キャッチして知らせたことがあります。風呂の種火が消えて都市ガスが漏れていたんですよ。それ位敏感なのでコーヒー の銘柄の違いを楽し むことができたのです。味覚は嗅覚とは切っても切れない関係ですから。でも今は、アレルギー性鼻炎の影響で十分に楽しむことができません。残念です。008
 このように、他国にまで悪影響を与えている中国由来の大気汚染物質ですが、当の中国は相変わらず厚顔無恥な報道を続けるばかりですね。韓国もですが、現状を直視することをしないのは何故なのでしょうね?かの国々はすぐに「日本は歴史を直視せよ!」とのたまいますが、直視していないのはもちろんかの国々の方です。表面だけを嘘で取り繕い、真実はどうでもよいお国柄ですから。韓国で整形が発達する理由がよく分かります。中国(中国共産党)も同じ体質ですね。というより、小中華の韓国が中国を真似ているということでしょうが。だから、現実(自然)をありのままに直視し、その中に真実(真理)を見い出す基礎科学が発達しません。ノーベル科学賞(化学や物理、生理学・医学など)の名誉からほど遠いのが中国と韓国です。虚構の「南京大虐殺」や「強制連行」に 「従軍慰安婦」など、彼らは小説を書くように歴史を作り替えることができるし、国際条約も簡単に反故に出来るのですね。世界地図から消しゴムで消したくなる国々です。

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