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「術後1年5ヶ月のPSA値が・・・」

3  先日10月18日に、前立腺肥大症の手術をした「西南泌尿器科クリニック」へ検診に行ってきました。本当は先月9月に行く予定が、帯状疱疹を罹患したのでひと月遅れになりました。別に異常を感じている訳でもありませんから心配はしていませんが・・・。
 検査は、いつものように「尿流量検査」とエコーによる「残尿検査」、それに血液検査です。「尿流量検査」と「残尿検査」の結果は、その場で持田院長から説明を受けます。「良好です!」
 「血液検査」の結果は26日に自宅に郵送されてきました。PSAの値は0.65でした。
PSA値を時系列で並べると、

14.09('12.04.18)→手術('12.05.07)→0.41('12.8.16)→0.83('13.03.07)→0.65('13.10.17)

となります。PSAの基準値が4.00ですから、全く問題がない数値です。これからも半年ごとに値を追跡調査していきます。

「今日も”虹”が朝の挨拶を!」

001  10月22日、午前7時頃だ006ったでしょうか、まだ朝焼けがうすく彩る西空に大きな虹がかかりました。
 九州・福岡の日の出の時刻はおよそ6時半くらいですから、まだ太陽は高くありません。虹は、太陽の高度が小さいほど高く大きな姿で出現します。今回も大きな虹です。大きすぎて1枚には収まりません。私の古いコンデジカメラでは、広角にしても入らないのです(泣)。
  いよいよ、一眼レフをデジタルに買い換えようかと考えているところです。実は先日20日に、カラオケ教室の発表会の撮影を急遽頼まれて、古い一眼レフ(フィルム使用)を取り出して撮影してきました。事前にカメラの チェックはしたものの、何かカメラの動きがスムーズでないのです。ハラハラの5時間でした。もう何年も使っていないので正常に作動しなくても仕方がないのですね。も008う一台持っている一眼レフは、すでにシャッター・プレーンのタイミングがずれて使用できない状態になっています。
 スナップ撮影をするのは10年ぶり位でしょうか?目も悪くなり、ピント合わせが心配なのですが、オート・フォーカスの助けを借りて、構図だけを考えればいいのは助かりますね。これが、デジ・カメの液晶画面を見ながらの撮影だと、遠近両用めがねが必須となるでしょう。デジタル一眼でも、私はファインダーを覗きながらの方 がいいような気がします。
 栃木にいる古い友人が、綺麗な画像をたくさんブログ004晴れときどき自販機」にアップしています。なるほど映像は、言葉以上の情報を伝えるんだなと実感されられます。
 団十郎君は、掲載意図不明ですが、眠005そうな表情ですねぇ。首輪に付けていた、超音波の虫除けをはずしました。これは超音波で蚊やノミを近づけないようにしてくれる優れものです。あなたの可愛い娘さんにもいかが?虫がつきませんよ!

「久々に団十郎君のアップです」

007  台風一過、快晴の天気で・・・・と思いきや、今日はもう曇天で002 す。時折雨が降るかも知れないという天気予報です。
 今日10月10日は、1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピック開会式の日で、それを記念して1966年に祝日”体育の日”となりました。しかし、2000年(平成12年)からは10月の第2月曜日が”体育の日”となり、その起源が曖昧になりました。私達の年代は、”体育の日=10月10”と固定された記憶なんですよ。これは、連休や休日を増やすことにより、日本国民を堕落させようという悪巧みの一つではなかろうか?
008  などと馬鹿な妄想をしている私ですが、実は面白いニュースが昨日飛び込んできました。「国際成人力調査(PIAAC)」で、日本が「読解力」と「数学的思考力」が世界一になったというものです。
 これは経済協力開発機構(OECD)がはじ003めて実施したもので、24カ国で年齢別に統計が取られました。残念ながらあと一分野の「IT活用能力」では10位でしたが、25歳から55歳の日本人の水準の高さが示されました。日本での教育のレベルの高さが評価されたことになるでしょう。しかし、”ユトリン(ゆとり世代の人達)”が社会の第一戦に出て活動する頃にはどうなっているだろうか、と心配しているのは数学者のピーター・フランクルさんです。
 この水準の高さが、”ものづくり日本”の職人さんの、知恵と工夫を生み出す基盤になっているように思います。厳しく勉強させられた世代は、高齢006になってもその学力を維持しているのですね。今すぐにでも役立たずの”楽しい勉強”を見直して欲しいと思いますね。
 老婆心ながら、”体育の日”に身体を鍛えるのも良いですが、”健全な肉体に、健全な精神が宿る”という、人類を欺すスローガンを掲げたクーベルタン男爵の口車に乗らず、しっかり読書したり、大変だけれども繰り返しドリルを地道にやって、学力を定着させる努力をして欲しいと思います。
 とまあ、今日のタイトルに関係ない話になりました。団十郎君の元気な姿を、最近はあまり掲載していませんでしたのでご紹介しました。

「”なごみ”10月度の歌声喫茶」

10_002   九州北部は、昨夜から「強い台風」24号の接近、通過を経験しました。まだ、奄美諸島くらいに位置していた時には、中心気圧が935hPaという低い気圧で注意をしていましたが、急激に衰えて、九州北部は事なきを得ました。何しろ今日9日は”歌声喫茶”の日だったので、どうなるものかと気をもんでおりました。10006
 今日の明け方には、島根県の隠岐島当たりまで早足で駆け抜けたようすで、曇り空から晴れ間が見え始めて”歌声喫茶”開店とあいなりました。
 今回も、上野君のサポートで”歌声喫茶10月度”は盛会理に催すことができました。準備している曲集では曲目が足りないくらいに、皆さんよくお歌いになります。いつものように午後2時開始で、3時に10分の休憩、その後、締めくくって3時30分に終了ですが、歌い足りない位によく歌われますね。
10008  今日は上野君も私も、台風のために中止になると思い、あまり練習をしていませんでしたから伴奏にアタフタしましたよ。まあ、適度な緊張感は、日頃のんべんだらりとしている私には良い刺激かも知れません。やや蒸し暑いくらいでしたから、汗をしこたまかきましたよ!
 次月は11月13日(水曜日)が11月度の予定です。ご参加いただいた皆さんに感謝申し上げます。

「ミザルー(Misirlou)」Dick Dale and His Del-Tones(楽譜)

Dick_dale    1994年の映画「パルプ・フィクション(Pulp Fiction)」のテーマソングとして使われた「ミザルー」は、実はギリシャの古い歌謡曲「ミシルルー」が原曲です。「エジプトの女」という意味。
 現在よく演奏される形にしたのは、サーフ・ロックのパイオニアといえるアメリカのギタリストDick Daleでした(1962年)。さらにそれがフランス映画「TAXi」シリーズ(1998~)で使用され、若者達も知るようになりました。車をぶっ飛ばす映像に重なるギターの音が、いやが上にもスピード感を煽ります。
 原曲を聴いてみると、実に趣があっておもしろい!西洋音階に慣れている私達からすると、何ともエキゾチックに聞こえます。「アラビアン・ナイト」のイメージが漂ってくる感じですね。明らかに平均律の音階とは異なっていることが分かります。また、中近東やインドの音楽に特有な半音の半音、四分の一音の響きも特徴的です。
 さて、久々の耳コピ曲掲載となりましたが、日記風のブログ記事を書いている間、何も音楽をやっていなかったのかと言うとそうでもないのですよ。確かに体調があまりすぐれずに、やる気はでませんでしたが、その間、主にインスト曲が中心ですが、過去の耳コピ譜の整理や訂正、改訂などを少しずつやっていました。その延長線上に出てきたのが今日の「ミザルー」という訳です。決して”見ざる聞かざる言わざる”ではないのですよ(親父ギャグかよ~!)。
■You Tube…「ミザルー」Dick Dale版と原曲をイメージした歌「ミシルルー
■楽譜と演奏について…終始トレモロ(テケテケ)が続きます。しかもスピードは速いです。付いて行くにはスピードとリズム感が必要ですね。イントロ部はリズムをつけていますが、トレモロをするにはアクセントをつけた方が弾きやすいと思います。
 スピードが速いと感じる方や、トランペット部もギターで弾こうという方はBeach Boys版「ミザルー」が参考になるでしょう。ややテクニック的には稚拙ですが、若い日の彼らの姿が初々しく感じられますよ。ひやひや感があって、聞きながら思わず”ガンバレー!”って言いたくなります(笑)。ちなみにDick Dale は左利きでギターを弾いています。
■楽譜をご希望の方は、本ブログの右側下方にある「プロフィール」をクリックして入り、「メール送信」でお知らせ下さい。また、エチケットとして何市の何歳の誰(ハンドル・ネームでも結構です)か位はお知らせ下さい。

「宗像三女神について」

Photo  10月1日のブログ「田島様の秋祭り:宗像大社秋季大祭」の中で記載していた、「宗像大社の惣社(辺津宮)に鎮座しておられる女神は長女」の記述に、友人から問い合わせがあり、私の思い込みが間違っているかも知れないと思って調べてみました。
 宗像大社の三女神は、天照大神の娘として、”古事記”や”日本書紀”の中に登場します。そこで我が家にある”古事記”、”日本書紀”、それに宗像大社の宝物殿で買い求めた「むなかたさま」という本を見直して見ました。

 まずは古事記の記事から調べると

■古事記 上巻 (講談社学術文庫)
 天照大御神と須佐之男尊
  二 二神の誓約生み
●現代語訳
 ≪…吐き出す息の霧から成り出でた神の御名は、タキリビメノ命、またの御名はオキツシマヒメノ命という。次に成り出でた神はイチキシマヒメノ命、またの御名をサヨリビメノ命という。次に成り出でた神はタキツヒメノ命である。≫
 さらにその後の行に
 ≪そして、その先に生まれた神のタキリビメノ命は宗像大社の沖つ宮に鎮座されている。次にイチキシマヒメノ命は宗像大社の中つ宮に鎮座されている。次にタキツヒメノ命は宗像大社の辺つ宮に鎮座されている。この三柱の神は、宗像君等があがめ祭っている三座の大神である。…≫

 これに従えば、長女のタキリビメノ命は沖ノ島の沖津宮、次女のイチキシマヒメノ命は筑前大島の中津宮、三女のタキツヒメノ命は宗像市田島の惣社・辺津(ヘツ)宮に祀られていることになる。

 しかし、日本書紀の記載は異なっている。

■日本書紀 (教育者新書)
 巻第一 上 第五段
●現代語訳
 ≪…そこでアマテラス大神は、すぐさまスサノオ尊の長剣を求め、三つに折り、天の真名井ですすぎ、がりがりと噛みに噛んで、ふうーつと吐き棄てた息吹の霧の中から生まれた神は、名は田心(タゴリ)姫という。つぎに湍津(タギツ)姫。つぎに市杵島(イチキシマ)姫。合わせて三女である。…これが筑紫の胸肩(ムナカタ)君らが祭る神である。≫
 日本書紀では、長女がタゴリ姫、次女がタギツ姫、三女がイチキシマ姫となる。しかし、古事記と違って祭られている場所には触れていない。
 日本書紀本文は上記だが、実は別に三つの”一書”が付いている。聖書で言えば”外伝”のようなものだ。それを読むといよいよ分からなくなる。

一書の1:≪…(アマテラスは)言い終えて、まず帯びていた十握剣(とつかのつるぎ)を食べて生じた子をオキツシマ姫という。また九握剣(ここのつかのつるぎ)を食べて生じた子をタギツ姫と名付けた。また八握剣(やつかのつるぎ)を食べて生じた子を、タゴリ姫と名付けた。合わせて三女神である。…日神の生んだ三女神を筑紫洲(つくしのくに)に降らせた。…≫

一書の2:≪…アマテラス大神が、大きな曲玉を、天の真名井で浮寄(すす)ぎ、玉の端をかみ切って、吹き出す息吹の中に生じた神を、イチキシマ姫命という。これは沖津宮に居る者だ。また玉のまん中をかみ切って、吹き出す息吹の中に生じた神を、タゴリ姫命とよぶ。これは中津宮に居る者だ。また玉の尾(しり)をかみ切って、吹き出す息吹の中に生じた神を、タギツ姫命とよぶ。これは辺津宮に居る者だ。合わせて三女神だ。…≫

一書の3:≪…こうして日神がまず、その十握剣を食べて生じた子が、オキツシマ姫命。またの名がイチキシマ姫命。また九握剣を食べて生じた子が、タギツ姫命。八握剣を食べて生じた子が、タキリ姫命。…≫

まとめると、
 本文では、長女がタゴリ姫命、次女がタギツ姫命、三女がイチキシマ姫命。
 一書の1では、長女がオキツシマ(タキリ)姫命、次女がタギツ姫命、三女がタゴリ姫命。
 2では、長女がイチキシマ姫(沖津宮)、次女がタゴリ姫命(中津宮)、三女がタギツ姫命(辺津宮)。
 3では、長女がイチキシマ姫命、次女がタギツ姫命、三女がタキリ姫命。
となっていて、それぞれバラバラの表記である。名前も微妙に異なる。
 では、当の宗像大社の文献ではどう扱われているかというと

■宗像大社の出版物「むなかたさま」より
 ≪宗像大社にお祭りしている神様は、田心(タゴリ)姫命、湍津(タギツ)姫命、市杵島(イチキシマ)姫命という三柱の姫神です。タゴリ姫命は大社の沖津宮に、湍津(タギツ)姫命は中津宮に、市杵島(イチキシマ)姫命は辺津(ヘツ)宮に、主神としてお祭りしています。≫

 とあって、女神の名称は日本書紀本文の表記ですが、長女、次女、三女の区別はしていません!いやあ、困ったぞ~!
 
 こうなれば奥の手を使うしかありません。宗像大社に直接聞いてみることです。が、実は私達の音楽仲間に権禰宜さんがいるのでした!その昔は宗像大社で神職をしておられたのでした。で、早速メールで問い合わせました。最初からそうしておけばよかったのですが・・・・(sigh!)

 答えが返ってきました。一応、宗像大社の見解として「沖津宮が長女の田心(タゴリ)姫命、中津宮の湍津(タギツ)姫命が次女で、辺津宮が三女の市杵島(イチキシマ)姫命」だそうです。沖合に行くほど年長ということですね。これにて一件落着!ホッ(冷汗)!

 お伊勢さんでは、式年遷宮が執り行われていました。しばし、秋の夜長、思いを神代の昔に馳せてみてはいかがでしょうか?

「田島様の秋祭り:宗像大社秋季大祭」

3  今日からもう10月なのですね。10月1~3日は、宗像大社の秋季大祭が執り行われる日です。小学生の頃は、とても楽しみなお祭りでした。近所の子供達と一緒に、西鉄赤間営業所からバスに乗って”秋祭り”に出かけたものです。確か、学校が半日で終わっていたように思いますね。良き時代でした。1
 親からもらった小遣いをポケットにしっかり入れ、露店が立ち並ぶ境内を目指します。子供にとっては、神様にお参りするよりも 、露店や見世物小屋が目当てなのですね。
 そういえば、サー2カスなども来ていました。大人の遊び心をくすぐる”タコ娘”や”大イタチ”の見世物は、子供にとっては”バカらしい” ものでしたが、”ガマの油売り”や”バナナの叩き売り”は時間も忘れて見ていました。懐かしい想い出です。でも、現在は露店だけが立ち並ぶ様相のようです。その中で、子供心に印象に残っているのが”新ショウガ”がやたらと売られていたことです。それは現在も変わらないでしょう。”でしょう”と推量になっているのは、最近は出かけていないためです(冷汗)。
 今日1日は、玄界灘をたくさんの船が走る”みあれ祭”が行われます。宗像大社は天照大神の三人の娘を奉っている神社ですが、沖ノ島と筑前大島に二人の妹、宗像市田島4 の本殿に長女が鎮座しています

(★この記述は間違いです。正しくは沖ノ島が長女、筑前大島が次女、宗像市田島が三女です。詳しくは10月3日の訂正記事をご覧下さい)

そのバラバラに奉られている娘達が一同に会するために妹達を船で本殿まで運ぶ儀式が”みあれ祭”です(掲載写真)。勇壮な船団が海を渡る様子は、残念ながら陸地からではうまく見えません。掲載写真などはヘリコプターからの映像ですね。
 ついでながらと言うと宗像大社に失礼ですが、宗像大社の門には”菊のご紋”が標されています。つまり、宗像大社は皇族にゆかりの神社という訳です。豪族・宗像氏は大陸貿易を一手に引き受け、天皇と密接につながっていたという事ですね。大陸から運んできた貴重品は、離れ孤島である”沖ノ島”に隠しておいたと考える学者もいるようです。その結果、”海の正倉院”として残ったのですね。当時の玄界灘の航海は大変だったでしょう。その名残を”みあれ祭”で感じることができます。”みあれ祭”の船団を見たい方は、1年前から宗像市神湊(こうのみなと)にあるホテルを予約して下さい!

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