« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »

「Yellow Bird」The Ventures(楽譜)

The_ventures11_2  同級生の友人が、随分前から「Yellow Bird」をやりたい、聴きたいと言っていました。「Yellow Bird」は、色々なアーティストがカバーしているスタンダード曲ですが、彼はベンチャーズ版を希望していました。この曲は、私が高校生の時に母校の体育館で演奏した曲でもあります。その時の印象が残っているのでしょうかね?当然、その時も耳コピした楽譜(譜面という形では作っていなかったように思いますが)で演奏をしていましたが、まったく記憶にありません(汗)。そこで、改めてYou Tubeで見つけて耳コピしてみました。
 「Yellow Bird」という曲はよく知っていますが、作曲者のNorman Luboffについてはよく分かりません。合唱団の指揮をやっていたようですが・・・・。1917年生まれで、1987年没のアメリカ人です・・・。と、ネットで検索してみましたが詳しくは分かりません。
 この曲は”The Brothers Four”や、”ザ・ピーナッツ”が日本語で歌っていました。さて、この楽譜を友人に届けることと致しましょう。和音で弾くところが多いのでなかなか大変かも知れませんが、頑張ってくれるでしょう、期待します。
■You Tube…「Yellow Bird」オリジナル音源と静止画像です。ああ、そうでした。「急がば回れ」のB面だったので、高校生の頃にコピーしたんでした。
■楽譜と演奏について…珍しくベース・パートまで含めて楽譜にしてみました。すぐに後輩のベース・マンが演奏に参加できるためです。また、運指はあくまでも参考程度にお考え下さい。また、最初のハーモニクスを譜面通りにならすためには6弦をレに下げる必要があります。
■楽譜をご希望の方は、本ブログの右側下方にある「プロフィール」をクリックして入り、「メール送信」でお知らせ下さい。また、本ブログの2011年12月2日:「楽譜を希望される方へ(再)」を是非お読み下さい。

「Never my love」The Association(楽譜)

The_association1  ”アソシエーション(The Association)”の1967年のヒット曲「ネヴァー・マイ・ラブ」をご紹介します。ただ、この邦題が「かなわぬ恋」というのは少しおかしなタイトルですね。内容はその反対だと思うのですが・・・。
 The Associationは6~7人のグループで、その素晴らしいハーモニーで現在もファンを魅了し続けています。「チェリッシュ」(1966年)、「ウィンディ」(1967年)などは全米で1位に輝きました。私の記憶の中にも、彼らの透明感のある心地良いハーモニーが印象深く刻まれています。大袈裟に言えば、つい厭世的な気分やすさみがちだった年頃の私を正気に引き戻してくれた響き・・・そんな音楽でしたね。私にとっては、W.A.Mozartの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」と同じような響きに聞こえていました。ビートルズの音楽性に、ビーチ・ボーイズやビー・ジーズのハーモニーが合わさったようなグループです。
 しかし、面白いことに、その他に類を見ない美しいハーモニーは、最初レコード会社に敬遠されたということです。理由は・・・あまりにも綺麗すぎてポップス的でないと思われたからなのでしょう。何が災いするか分からないものですね。でも、これをコピーして歌うのはなかなか難しいでしょうね(汗)。
■You Tube…「Never my love」オリジナル音源と歌詞が表記されます。
■楽譜と演奏について…この曲は、歌のハーモニー以外に曲を印象づけているが電子オルガンの音ですね。出来るだけ音は採りたいと思いましたが、アドリブ的に入るので難しいです。原曲通りに弾こうとすると1フレットにカポタストが必要です。
■楽譜をご希望の方は、本ブログの右側下方にある「プロフィール」をクリックして入り、「メール送信」でお知らせ下さい。また、本ブログの2011年12月2日:「楽譜を希望される方へ(再)」を是非お読み下さい。

「Green River」C.C.R(楽譜)

Ccr1  1969年、C.C.R(Creedence Clearwater Revival)はいくつかのビッグ・ヒットを飛ばしました。C.C.Rは短い期間しか活動しませんでしたが、その音楽は多大な影響を他のアーティストに与えたことは特筆すべきものです。何しろ、時は”ビートルズ”時代ですから、彼らと対等に戦うことは至難の業だった時です。まあ、救いは”ビートルズ”が解散を間近にしていた時代だったということでしょうか?
 音楽的に洗練されていったビートルズとは対照的に、泥臭いアメリカ南部のイメージが色濃いC.C.Rの音楽は、ある面、アメリカ音楽の”原点回帰”とも言えるものだったかも知れません。John Fogertyの個性が全面に出た彼らの音楽は、時代錯誤の観がありましたが、ワイルドでエネルギッシュ、そしてソウルフルなものでした。
 今日の「グリーン・リバー」は、「プラウド・メアリー」や「ダウン・オン・ザ・コーナー」と共に1969年にヒットした曲です。
■You Tube…「Green River」オリジナル音源と静止画像です。
■楽譜と演奏について…地味な演奏ですが、途中からギター3本がそれぞれに主張し合います。ブルースっぽい感じが全面的に感じられる曲作りで、ぐんぐんハートに迫ってきますね。自分がどこのパートを弾くかは、ライブ映像を見ると参考になるでしょう。
■楽譜をご希望の方は、本ブログの右側下方にある「プロフィール」をクリックして入り、「メール送信」でお知らせ下さい。また、本ブログの2011年12月2日:「楽譜を希望される方へ(再)」を是非お読み下さい。

「Johnny B. Goode」Chack Berry(楽譜)

Photo  ”ロックンロール”の代名詞とも言えるチャック・ベリーと、彼の代表曲「ジョニー・B・グッド」を耳コピしてみました。今、TVでは「鶴瓶の家族に乾杯」が始まりましたが・・・関係ないね(笑)。
 代表曲と言っても沢山ありますが「ジョニー・B・グッド」は1958年の作品ですね。私は昔々は”ロックンロール”などは好きではありませんでした。どこかで書いたんですが、日本人のロカビリー時代のミュージシャンが好きになれず、その影響でロックは聴かなくなりました。ビートルズに夢中になった頃も、泥臭いチャック・ベリーの”ロック”は馴染めませんでした。それをだんだん”面白いぞ”と思わせてくれたのは、やはりビートルズですね。ビートルズの”ロック”で慣れ、本家の面白みを味わえるようになったということでしょう。
 「ジョニー・B・グッド」は、数多くのアーティストにカバーされて歌い継がれています。「キャロル」や「ロール・オーバー・ベートーベン」なども人気のカバー曲となっています。どれも”なるほどチャック・ベリーだ”というイントロですね。
 今回のコピーは、1958年当時の音源を使いました。そのため若干稚拙なアドリブになっていますが、敢えてそのままコピーしています。物足りなさや、ちょっとスマートな演奏を目指したい方は、その後の”ライブ映像”を参考にしたり、「バック・トゥー・ザ・フューチャー」のマイケル・J・フォックスの演奏をコピーされるといいでしょう。私も機会があれば追加コピーでご紹介します。
■You Tube…「Johnny B. Goode」オリジナル音源と静止画像です。
■楽譜と演奏について…なるべく忠実に音を拾ってみたのですが、音源がそもそも不明瞭ですから若干音が違うかも知れません。各自でご検討下さい。You Tubeの中には沢山の方がコピー演奏を披露していますが、それぞれどこかに自分流のアレンジがありますね。でもそれはそれでいいでしょう、私のが正しいという訳ではありませんので(笑)。
■楽譜をご希望の方は、本ブログの右側下方にある「プロフィール」をクリックして入り、「メール送信」でお知らせ下さい。また、本ブログの2011年12月2日:「楽譜を希望される方へ(再)」を是非お読み下さい。

「I Go To Pieces」Peter & Godon(楽譜)

Peter_godon  1961年頃から、高校時代に知り合ったピーターとゴードンが、ロンドンでデュオ活動を始めます。その頃ビートルズは、ポールがベース・ギターに回って最終的なバンドの形が出来上がり、キャバーン・クラブで人気を博していました。
 1962年「ラブ・ミー・ドゥ」でデビューしたビートルズは、瞬く間に世界的な人気者になります。1964年当時、ポール・マッカートニーのガールフレンドだったのがピーターの妹のジェーン・アッシャーでした。その縁で「A World Without Love愛なき世界」の楽曲提供を受け、Peter & Godonは全英、全米で1位を獲得し、その名が全世界に知られるようになりました。その後も立て続けにLennon-McCartneyの曲を歌ってヒットを続けます。「Nobady I know」「I don't want to see you again」がそれですが、実質的にはPaulが一人で書いた曲でした。
 ピーターとゴードンの成功は、勿論本人達の才能と努力があったからでしょうが、やはりポールという存在が大きく作用したことは否めない事実でしょう。世の中には実力や素質に優れた人がたくさんいますが、このような”運”に恵まれないと世に出ることができないのですね。運命とは意地悪なものです。
 さて「I go to pieces」の楽曲提供者は、何とあの「悲しき街角」デル・シャノンなんですね。ところで「I go to pieces」ってどんな意味なんでしょうね。辞書で確かめるまでは「バラバラで行こう」何て思ってましたよ(笑)。バラバラはバラバラでも、肉体的精神的にバラバラになる=「参った!」の事なんですね。ああ、恥ずかしい!
 二人のうち、ゴードンは2009年に64歳で亡くなっています。心臓発作でした。
■You Tube…「I go to pieces」オリジナル音源と静止画像です。
■楽譜と演奏について…楽器が多様に使われています。ベースの動きも面白いですね。12弦ギターで始まるサウンドは、「ピーターとゴードン」の曲というより、この時代の雰囲気を創り出しているように思います。また、マイナー調が多いデル・シャノンならではの曲調のようにも思います。歌は、出来るならば二人で歌わないと面白くありませんね。
■楽譜をご希望の方は、本ブログの右側下方にある「プロフィール」をクリックして入り、「メール送信」でお知らせ下さい。また、本ブログの2011年12月2日:「楽譜を希望される方へ(再)」を是非お読み下さい。

「夢見るギター」The Spotnicks(楽譜)

The_spotnics3  今日の掲載曲は、札幌市にお住まいのKさんからの問い合わせにお応えして耳コピしたものです。若かりし頃、バンドのテーマソングにしていたとのことです。原題は「Dreaming Guitar」で、何と日本人が作曲しているのですね。スプートニクスには何人かの日本人が曲を提供しているようですが、今日の「夢見るギター」は”早川博ニ”さんの手によるものです。といっても早川さんって知りませんが(汗)。Wikipediaで調べると・・・へ~ぇ、左卜全と子供たちが歌った「ズビズバー~パパパヤ~♪」の作曲家ですかぁ!
 スプートニクスはスウェーデンのインスト・グループのようですが、他のグループと同様にメンバーを入れ替えながら活動したのではないでしょうか。ジャケット写真を見ると顔ぶれが変わっているものがあります。グループでは致し方がない模様替えですね。
 さて、この「夢見るギター」ですが、中間部のキー・ボードの演奏部分で拍子がどうもしっくりしませんね!。
 弱起(小節の途中から始まる)で始まっている曲が、突然、小節の頭からキー・ボードのメロディーが始まります。聴いているとどうしてもテンポがずれているように感じてしまいます。途中、妙なシンコペーションでつじつまを合わせているように聞こえます。果たしてその意図は・・・・?
■You Tube…「夢見るギター」オリジナル音源(?)と静止画像です。
■楽譜と演奏について…本文にも書いたのですが、キーボードのメロディーの拍子がずれているように聞こえます。故意にそうしているのか、キーボード奏者がずれて入ってしまったかは不明ですが、どうも気持ちが悪いですね。途中、音符の長さで帳尻を合わせているように思えます。いっそのこと、気持ちよく聞こえるように改訂したようがいいかも知れませんね。
■楽譜をご希望の方は、本ブログの右側下方にある「プロフィール」をクリックして入り、「メール送信」でお知らせ下さい。また、本ブログの2011年12月2日:「楽譜を希望される方へ(再)」を是非お読み下さい。

「悲しき片思い」ヘレン・シャピロ(楽譜)

Helen_shapiro1   1946年生まれのHelen Shapiro(ヘレン・シャピロ)が、1961年に飛ばしたヒット曲「悲しき片思いYou don't know」は全英チャート史上最年少記録となる1位を獲得します。最初のシングル「子供じゃないの」(Please don't treat me like a child)が全英チャート3位で、当時彼女は14歳という若さでした。
 独特のアルトの声は、大人の女性というよりはむしろ男性的な響きがします。よく聞いてみると、高音部の音程の不安定さが耳に付きますが、それよりも情感のある声に魅了されますね。ラジオから流れてくる彼女の歌声から、年齢が分からないので「どんな女性なんだろうか?」と思ってましたね。このヒット曲で彼女は一気にイギリスを代表する歌手になります。当時駆け出しだったビートルズが、彼女のツアーの前座で歌っていたのは有名な話です。その時、ジョン&ポールが自作曲「Misery」を提供したのですが、ヘレン・シャピロ側は断ります。だって「まだ前座の身分で曲の提供なんておこがましい!」という事だったんでしょうね。でも、後できっと後悔したでしょうね。多分、当時としては売名行為としか受け取れなかったでしょうから致し方ないでしょう。
 ヘレン・シャピロの曲は、日本では弘田三枝子が歌っていました。私はこのようなカバー曲(洋楽を日本の歌手がカバーした曲)はほとんど取り上げませんが、勿論理由があります。それは、英語で歌うときの言葉それ自体が持つリズム感が、日本語にしたとたんに崩れるからなんです。曲のイメージが変わってしまうのです。歌は、言葉のリズムも含めて曲なんですよ。日本語にしたとたんに曲本来のリズム感が壊れるから嫌なのです。
■You Tube…「悲しき片思い」オリジナル音源と静止画像です。
■楽譜と演奏について…一部コードがぴったし当てはまらないなぁと思う部分があります。和音とベース音が不安定な響きを奏でるのですAm/cと書いている部分です。Amのコードなのに低音がCで響いています。バックの音が聞き取りにくいですからちょっと悩んでいます。途中Am調からFmへと転調する部分が見事ですね。またE♭からGへと戻ってきます。弾いていて「上手い!」と思ってしまいましたよ。途中、ストリングスやバス・トロンボーンの音などが入りますが、一部しか書いていませんのでありからず。内容は、聴いていてグシュンと切なりそうな曲ですね(笑)。
■楽譜をご希望の方は、本ブログの右側下方にある「プロフィール」をクリックして入り、「メール送信」でお知らせ下さい。また、本ブログの2011年12月2日:「楽譜を希望される方へ(再)」を是非お読み下さい。

「ヘイ・ポーラ」Paul & Paula(楽譜)

Paul_paula   1963年に全米No.1に輝いたPaul & Paula「ヘイ・ポーラHey Paula」のご紹介です。
 「ポールとポーラ」のデュオは、PaulことRay Hildebrand(レイ・ヒルデブランド)とPaulaことJill Jackson(ジル・ジャクソン)の二人が掛け合うラブ・ソングです。作詞・作曲は当時学生だったRayです。このデュオはその後「けんかでデート」などの曲もヒットさせました。
 「ヘイ・ポーラ」はスロー・バラードでクサイ歌詞の「かったるい!」曲ですね(笑)。まあ、そんな時代だったんです。日本でも田辺靖雄・梓みちよ、あるいは九重佑三子のデュエットでヒットしました。
 どこかでも書きましたが、当時のEPレコードは簡素なもので、粗末なジャケット写真で「ポールとポーラ」を知る以外に情報を得る術がありませんでした。今、こうやって同時の二人が歌っている動画をYou Tubeで見ることができるのは嬉しい驚きです。
 当時はアーティストの情報も乏しいものでした。話題を煽るために嘘の作り話も流布したでしょうね。この二人の情報をネットで調べると・・・・意外に少ないのですよ。
 1963年当時、私が覚えている情報に「ポーラは学園祭の女王(a homecoming queen)に選ばれたこともある美人です」というのがありました。しかし、ネットで探すんですがこの情報を書いている場所が見つからないんですよ。この私の記憶情報は正しくないのかなぁ?どなたかご存じの方はいらっしゃませんか?
 男性のRayの方は、しばらく音楽活動をしますが体質に合わないといって音楽界から退いたようです。女性のJillはその後もソロ活動を続けました。
■You Tube…「ヘイ・ポーラ」オリジナル音源と静止画像です。
■楽譜と演奏について…リピート記号を使わずにストレートで書いています。細かな楽譜ではなく、コード譜程度の作成です。歌詞内容が「I wanna marry you~♪」と青臭いので歌っていて照れるのではないでしょうかね(笑)。
■楽譜をご希望の方は、本ブログの右側下方にある「プロフィール」をクリックして入り、「メール送信」でお知らせ下さい。また、本ブログの2011年12月2日:「楽譜を希望される方へ(再)」を是非お読み下さい。

「元旦より救急車で搬送されて(汗)」

2012  新年、あけましておめでとうございます!昨年は、東日本大震災で日本中が試練に立たされた1年でした。まだ、立ち直るまでには時間を要する状況ですが、流行語大賞”絆”の言葉通りに”思いやり”と”信頼”と”愛”で復興を果たしましょう!
 と、まあ、ここまでは普段のご挨拶ですが今日のタイトルって????
そうなんですよ。1日元旦に妻の実家に向かっている途中に”事件”は起きました。
 午前10時過ぎに福津市を発ち、愛犬「団十郎」を宗像市石丸の「Positive Wind」(犬のトレーニング教室)に預けて福岡県豊前市へと向かっていた途中、九州自動車道走行中に排尿に異常を感じたのです。しかし、高速道路を走行中ですから、路肩で用を済ませることもできません。感覚としては「前立腺肥大による排尿困難」の様に感じました。とにかく何とかどこかでトイレ休憩をと車を走らせ、北九州空港へ抜ける高速出口の料金所事務所のトイレを見つけて走り込んだのですが・・・・案の定、オシッコが出ません。しばらくポトポトの排尿で何とか排出しようと努力したのですが一旦トイレから出てもまたすぐに尿意を感じるのです。過敏になっているんでしょうね。これでは車の運転はできません!
 「まいったなあ」と思案していると、事務所の方が「病院を探すより、救急車を呼びましょうか」と声をかけてこられ、意を決して救急車を呼んでもらった次第です。
 近くの九州労災病院へ手配されて、10分ほどで初めての救急車の旅は終わりました。しかし、我慢しての10分間は長く感じます。本当に冷や汗の10分間でした(失笑)。
 移動用の担架で緊急処置室へ運ばれる途中は「TVドラマと一緒だ」などと思ってましたよ(バカな余裕!)。若い先生が話しかけてきて「すぐに楽になりますからね」とカテーテル(管)で排尿させてくれました。「500mlですよ。苦しかったでしょ?」と看護師さんの声。前回のカテーテル挿入事件の時は「650ml」でしたからそれに比べれば少ないですが、成人の1回の排尿量(180~200ml程度?)からすると多いですよね。
 原因は、恐らく滅多に飲まないアルコールを31日に飲んだことでしょう。ワインをグラスで2杯飲みました。アルコールは前立腺をむくませるようです。
 1日の夜は妻の実家に泊まり、2日の夕方帰宅しました。
 何と破廉恥な惨めな新年ですこと!結局、医療機関が正月休みだし、念のためにカテーテルをつけたままでいるように言われましたが、この尿管カテーテルは男性にとってはしんどいんですよね。それで、ほぼ治まったと思ったので2日の夜、帰宅後に近くの夜間診療をしてくれる宗像水光会病院で抜去しました。だって、正月早々風呂にも入れませんからね。まあ、今年1年は「色々な面で気をつけよ!」という天の声だと受け止めるようにしました。皆さんも、くれぐれもお気をつけ下さいね!今年もどうぞよろしく!

« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

最近のトラックバック

無料ブログはココログ