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「わたしの城下町」小柳ルミ子(楽譜)

2_2   今日ご紹介の「わたしの城下町」は、時系列的には「瀬戸の花嫁」の前年1971年のヒット曲になります。
 先日も少し触れましたが、小柳ルミ子は1952年に福岡市で生まれ、筑紫女学園中学を経て宝塚音楽学校へ進みます。その後、ナベプロに歌手志願(梓みちよの縁で?)をしますが「音楽学校を首席で卒業したら歌手にしてあげる」との回答をもらい、やがて見事に首席で卒業し、念願の歌手デビューへの道が拓けました(Wikipediaによる)。
 音楽学校の事ですから、彼女は音楽実技の面で優れた才能を示したのでしょう。しかし、実は彼女が卒業した筑紫女学園中学校というのは福岡市内では優秀な子供しか合格できない名門中学のひとつなのです。つまり、お勉強もしっかりできた成績優秀な子供でもあったわけです。でも、それは紙に書かれた問題を解く能力のことであり、自分の人生の問題は・・・・別でしたね(笑)。
 同じ中学校に学んだ卒業生の一人に女優の蒼井優がいます。
 なお、小柳ルミ子のデビュー曲「わたしの城下町」は130万枚もの年間売上を記録し、その年の放送音楽新人賞やレコード大賞最優秀新人賞などに輝きました。小柳ルミ子の伸びやかで艶やかな若々しい歌声は、「みんなの恋人」というキャッチ・フレーズと共に、その後もみんなに親しまれました。その後、踊りや演劇の世界でも活躍したことは皆さんご存じの通りです。

■You Tube…「わたしの城下町」格子戸をくぐり抜け~♪はて・・・・?どこの町がモチーフなのでしょうか?
■楽譜と演奏について…オリジナル・キーはAmです。声が高すぎるのでEmのカラオケ音源を聴いて譜面にしたものもご紹介します。

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「瀬戸の花嫁」小柳ルミ子(楽譜)

1   1972年(昭和47年)、札幌オリンピックで日本のジャンプ陣「日の丸飛行隊」が大活躍したこの年、福岡市早良区出身の小柳ルミ子が放ったヒット曲が「瀬戸の花嫁」でした。そう言えば、オリンピックではアメリカのジャネット・リンが大人気でしたね。
 小柳ルミ子は、前年1971年に「わたしの城下町」でデビューし、1972年の「瀬戸の花嫁」とビッグ・ヒットを続けました。
 福岡からは沢山の有名芸能人が出ていますが、時期的には”中尾ミエ”や”梓みちよ”の後を追いかける形でデビューします。また、ほぼ同時期に”井上陽水”が注目を集めるようにもなります。日本が活気付き始めた時代でもありましたね。田中角栄が「日本列島改造論」をぶち上げ、佐藤栄作の後、第64代の内閣総理大臣になります。
 一方では、2月の赤軍派による陰惨な「浅間山荘事件」、アメリカの「ウォーターゲート事件」、ノーベル文学賞受賞者・川端康成の自殺なども起きた年でありました。
■You Tube…「瀬戸の花嫁」オリジナル音源と静止画像です。→「カラオケ版
■楽譜と演奏について…B♭調で歌う小柳ルミ子の声域は高いですね。高く艶のある声です。改めて聴いて”う~ん、上手いなぁ”と思いました。これほどじっくり聴く事なんてありませんでしたから(汗)。カラオケにA♭調のものがありましたからそれも譜面に起こしておきました。1全音低くなれば随分歌いやすくなるものです。
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「"あんずの里ライブ"のご報告」

Photo  先日の11月13日(日曜日)に、福津市勝浦の「あんずの里ふれあい館」でライブを行いました。当日は、地元福津市の勝浦小学校の文化活動発表会「○勝(まるかつ)祭」が「あんずの里」で行われました。その活動の援助の一環として私たちのライブや猿回し、沖縄民謡のデュオやフラダンスなどが催されました。
 この「○勝祭」は、昨年までは勝浦小の校内で行われていましたが、今年は初めての試みとして市の活動との”コラボ”の形をとり、校外で催すことになったようです。
 私達は、前回の「JR福間駅構内ライブ」のような不特定多数を相手としたライブはあまりやりません。今回の「あんずの里ライブ」も同じようなスタイルですので、普通ならば遠慮するところでしたが、「○勝祭」への協力ということで引き受けました。
 掲載の写真は、この祭の実行委員の方が撮影されたものなのでしょうか、わざわざ郵送して下さいましたのでここに感謝を込めて利用させて頂きます。
 30分程度の短いライブでしたので、8曲程度の演奏でした。久しぶりにビートルズもやりましたよ。「恋する二人」と「キャント・バイ・ミー・ラブ」。この歳でシャウト系を歌うと疲れますねぇ!
 今回のライブは、仲間7名の参加で演奏を致しました。”枯れ木も山の賑わい”??(笑)。いやいや、気持ちは20代ですからね。

「時の流れに身をまかせ」テレサ・テン(楽譜)

1  1995年、42歳の身で突然この世を去った「アジアの歌姫」テレサ・テンの歌「時の流れに身をまかせ」は1986年の作です。
 台湾生まれの彼女は、天安門事件以降、民主化運動を支持する活動をしていたため中国国家保安局にマークされることとなります。というより、台湾独立の考えを持っていた(と言われる)ので、台湾国民党に利用され、広告塔の役を演じさせられたと思われます。真実は分かりませんが、その事と彼女の死は・・・無関係と考える方が難しいのではないでしょうか?そのため”暗殺説”が根強く支持されています。何しろ中国は”すべて自分たちが正しく、何でも有り”の中華思想の国ですからねぇ(溜息)。
 1995年5月8日、タイ・チェンマイのメイピンホテルで気管支喘息による発作のため死去したと言われています。葬儀は国葬級で執り行われました。台湾では国民的英雄だったのです。
 今日からご紹介する数曲の女性歌手の歌は、一緒に活動しています女性ボーカリストのために耳コピしたものです。次回のチャリティー・ライブのための準備です。急いで耳コピして、練習せねば(冷汗)!
■You Tube…「時の流れに身をまかせ」オリジナル音源と静止画像です。
■楽譜と演奏について…コードは意外に複雑でしたね。と言っても正しいかどうか分かりませんが、当面このコードで演奏しようと思っています。
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「ソフトバンク・ホークス、日本一おめでどう!」

Photo   やぁ、待たせてくれたね~!8年ぶりの”日本一”です。待った時間が長いのでこの感激はひとしおですバイ!ホークスファンの皆さん、よかったですねぇ、嬉しいですねぇ!
 しかし、中日ドラゴンズもあの戦力でよく戦いましたよ。どの試合も緊張感に溢れた素晴らしいゲームでした。感動しました。中日ドラゴンズは、敵として”あっぱれ”だったと思います
 2年連続のリーグ優勝を、圧倒的な強さで果たしたホークスは、鬼門だったクライマックス・シリーズで西武ライオンズを一蹴し、念願の日本シリーズに臨みました。ファンは勿論ですが、一番”日本一”を望んでいたのはホークスのナインだったでしょうね。さんざんファンと共に泣きましたから。
 福岡ヤフードームから始まった日本シリーズの期間、やはり落ち着きませんでした!ただ、連敗スタートでしたが、不思議にあまり心配はしなかったんですね。落合監督の弁ではないですが「3敗まではできる」って気分でしたよ。まあ、それでも塾の授業中に試合があっていた19日は、生徒にせがまれてワンセグで試合の途中経過を時折見ていましたよ。まあ、不謹慎な先生ですねぇ!・・って、自分が一番観たかったんですよ(笑)。
 八代出身の秋山監督や松中外野手、横浜から移籍してきた大分出身の内川外野手、鹿児島出身の川崎内野手、熊本出身の馬原投手、地元福岡から杉内投手や本多内野手など、地元重視の選手集めはファン層を厚くしている要因でしょう。また、TV映像でも明らかなように、選手と孫球団オーナーとの距離がなく、王貞治球団名誉会長と共に球団がよくまとまっている感じがしますね。それが強さの秘密の1つになっているとも思えます。読売巨人軍のようにごたごたしていてはね(笑)。
 来年度の話は早いですが、もうカブレラは要らないよね(笑)。スリムになったから打撃が変わったかと思いきや、相変わらず空振り三振の連続です。これじゃあねぇ。松中選手も峠を・・・・おっと、それを言っちゃあ失礼ですね。和歌山県出身の小久保選手がキャプテンで頑張っているのだから、負けずにやって欲しい。それでも有望な若手がしっかり育って来ましたね。秋山監督が二軍監督時代から鍛え上げてきた逸材どもですね。まだまだ、発展途上のホークスのようですよ!それにしても愛知県出身にもかかわらず中日ドラゴンズをねじ伏せた森福投手には脱帽でした。しかし、一方では福岡出身の柴原外野手が引退します。ご苦労さまでした。いやあ、日本一を実感しての引退は嬉しいかもしれませんね。TVを観ていたらビール掛けの輪に柴原選手の笑顔がしっかり見えましたよ。感動ありがとう!
 12月11日(日)に福岡市内で優勝パレードです。8年前のパレードには行きましたが、今年は残念ながらライブの予定がすでに入っていました!TVで観るだけにしま~す。

「ルビーの指環」寺尾聰(楽譜)

1  何だか急に冷え込んで来ました。風邪引きさんが一気に増えるでしょう。天皇陛下もマイコプラズマによる気管支炎とかで静養中でいらっしゃいますね。年齢が年齢だけに免疫力も低下して参りましょう。私も、密閉された空間で子供たちと接する機会がありますから注意しないといけません。そろそろ12月・・・また、入試がやってくるんですねぇ。早いものです。
 さて、今日は久々に耳コピの新曲披露です。かねてより挑戦したいと思っていた候補曲「ルビーの指環」は、1981年に寺尾聰の自作自演曲として大ヒットしました。
 名優・宇野重吉の息子として1947年に生まれた彼は、若い頃からバンド活動をしていました。一躍有名にしたのが「ザ・サベージ」で「いつまでもいつまでも」をヒットさせた時でしょう。その後、いくつかのバンドで活動しますが、落ち着かず、結局、石原軍団に落ち着くことになります。その頃の寺尾聰はかなり荒れた生活だったようで、困った父・宇野重吉が石原裕次郎に相談して軍団に入ったのでしょう。
  ”かねてより挑戦”と書きましたが、一度耳コピをしようとして音がうまく聞き取れなかったのです。このように苦労するのは久しぶりのことでしたから、しばらく寝かせておきました。イントロからコードが凝っているので、苦労しましたね。まだ、完全に聞き取れていないかもしれませんが、一応ご紹介とします。
 曲自体は、高い声を張り上げて歌う今のJ-popの曲とは異なり、中低音で語るように歌います。聴いていて落ち着けますよね。私には”歌らしい歌”に聞こえます。松本隆の詞の描写も非現実的な世界ですがステキです。レパートリーの1曲になれば幸いに思います。
■You Tube…「ルビーの指環」オリジナル音源と静止画像です。
■楽譜と演奏について…シンセサイザーが入っているため、コードが分かりにくい箇所があります。試してみてください。ギター1本では感じがでないと思います。やはりバンド演奏で作り上げるべき音ですね。軽くコードを弾きながら歌って下さい。男性には歌いやすい声域でしょう。
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「プリティ・ウーマン」ロイ・オービソン(楽譜)

Roy_orbison1   原題は「Oh, Pretty Woman」と「Ohオー」がつきます。
 1964年に発表された「プリティ・ウーマン」は、全米・全英チャートでともに1位を獲得しました。若かりしビートルズもロイ・オービソンには大きな影響を受けています。
 この曲は、1990年のジュリア・ロバーツとリチャード・ギアの映画『プリティ・ウーマン』の主題歌としても使われ、リバイバル・ヒットもしました。
 1964年当時の私は、黒縁メガネで歌うロイ・オービソンに違和感を覚え、余り好きにはなれませんでしたが、近視のジョン・レノンは彼を真似て同じようなメガネをかけたりしていたようです。後で知ったことですが、日本ではさほどの人気ではなかったロイ・オービソンですが、アメリカでは大変な人気歌手だったということです。1988年、52歳で亡くなりました。
  当時のシングル・レコード「Oh, pretty woman」のB面が「Come back to me (my love)」という曲だったと思い、You Tubeで調べると・・・へぇ、ありましたよ。懐かしいなぁこの歌も。「Please please me」は、最初このような感じの曲だったと言われていますね。
■You Tube…「Oh, Pretty Woman」昔の映像や映画のシーン、1990年に再録音した際の映像などがうまくつなぎ合わさっていますね。ジュリア・ロバーツが初々しい!
■楽譜と演奏について…イントロのリズムを弾きながら歌うのは難しいですね。映像を見るとコードE7を弾きながら歌っているようです。まあ、調子の良い曲ですからリズミカルに歌えば曲になりますね。出来ることならもう一人とハモるのが一番ですが。

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「団十郎の幼稚園通い」

Girls_gang_013    我が家の愛犬:トイ・プードルの「団十郎」君は、8月3日から”犬の001 幼稚園”に通っています。宗像市石丸にある”犬のしつけ・幼稚園「Positive Wind」”に、週に1回の割合での出席(?)です。只今、3ヶ月間半を皆勤賞!
  犬のしつけ教育も、1歳を過ぎると難しくなるらしい。団十郎君はぎりぎりの線で通い始めました。今日もその”幼稚園”の日でした。写真でおわかりのように、大小いろいろな愛犬たちが交流を楽しんでいます。福岡市や北九州市から も通っている犬達がいて賑わっていますが、団十郎はその中では一番の”ちび犬”です。一番の”ちび”が体重3kg弱で、ゴールデンが30kg・・・何と10倍もの差があるんですよ!
 「ポジティブ・ウインド」では、福島さんと森さんの二人のインストラクターが愛犬達の世話をしています。写真には、愛犬の飼い主さんと犬達が楽しそうな表情で写っています。おや、団十郎は?私が居ればやはり甘えて足元から余り離れませんねぇ。で、写真に002は写っていません(苦笑)。犬達の様子は、ポジティブ・ウィンドの”ブログ”をご覧下さい。只今”美わんコンテスト”中ですよ(笑)。
 この教室の指導方針は”誉めて育てる”で、訓練と称して体罰を与えたりはしません。とにかく、色々003な場面で、犬達がうまく行動できると”誉めて”ご褒美を与えます。そのため、犬達は活き活きと人間と活動できるようになるのでしょう。どの犬も表情が明るいのです!人間の子供ではこうは単純にはいきませんが・・・。
 今まで、団十郎はややもすると室内生活が多く、他人や他の犬に慣れない面が観られましたが、今はすっかり人(犬?)が変わり、お利口さんになりつつあります。お二人のインストラクターさんに感謝、感謝です。

「トラベリン・マン」リッキー・ネルソン(楽譜)

Ricky_nelson1   1940年生まれのRicky Nelsonは、1985年に飛行機事故で亡くなります。45歳の若さでした。子役時代から俳優として活躍し、TVドラマ「うちのママは世界一」などでギターを弾きながら歌う姿が茶の間に流れ、ルックスの爽やかさと相まって、今で言う”アイドル”となります。このドラマで娘役だったシェリー・フェブレーも劇中で「ジョニー・エンジェル」を歌ってヒットさせました。私たち日本人には、共に良きアメリカのイメージを感じさせてくれた歌やスターと言えます。当時の日本人は「名犬ラッシー」などのアメリカン・ホーム・ドラマを観て、豊かで文化的なアメリカに憧れを抱いたものでした。しかし、これもGHQの指示によるW.G.I.P(戦争に対する贖罪意識を日本人押しつける様々なプログラム)の一環だったんですが。
 まあ、そのような時代的背景の中で、私たちはアメリカを中心とした世界中の音楽を聴いて育った訳です。
 そのような音楽の中で、リッキー・ネルソンの歌は確かに爽やかな歌声として残っています。とは言え、私がよく知っているのは「ハロー・メリー・ルー」「ヤング・ワールド」とこの「Travelin' man」程度ですが。やがてリッキーは、子供の呼び名であるリッキーからリックという名前に変えました。
 早死にして惜しまれた彼に変わって、息子達が”ネルソン”というロック・グループで活躍したのは1990年過ぎでした。

■You Tube…「トラベリン・マン」多分TVドラマ「うちのママは世界一」の劇中で歌っているシーンだと思いますが、口パクですね。
■楽譜と演奏について…難しいコードはありません。中間のジェームス・バートンの弾くリフもコピーしやすいですね。楽しんで弾いて歌えます。

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「夢のカリフォルニア」ママス&パパス(楽譜)

The_mamas_papas   1965年にヒットしたThe Mamas and the Papas「California Dreamin' (夢のカリフォルニア)」。ジョンとミッシェルのフィリップス夫妻が作詞・作曲したこの曲は、いきなり全米4位にランクされます。アコースティック・ギターが奏でるイントロが何とも印象的なんです。次の「マンデイ・マンデイ」で全米1位を獲得しました。
  ママス&パパスの4人は、結成する前にすでにかなりの音楽活動をしていた面々でしたのでこの成功は当然だったのかもません。しかし、一般的に「グループ活動」というのは難しい面を伴います。分裂したり、メンバーの集合離散など、人間関係の難しさが露呈してきます。また、音楽観の違いはミュージシャンにとって大きな価値観の差になります。かのビートルズも10年足らずで終焉を迎えたのは、この音楽的要求の差異が根底にあったからでしょうね。
 さて、この「California Dreamin' (夢のカリフォルニア)」を聴いて思い出すのは、「ベトナム戦争」「反戦運動」「フラワー・ムーブメント」のような若者のエネルギーの渦です。その象徴がこの歌のような気がします。しかし、調べていましたら、ママス&パパスのオリジナルメンバー4人のうち、すでに3人が亡くなっているんですね。残っているのはミシェル・フィリップ一人!当然と言えば当然??何せ、50年近くが過ぎている訳ですから・・・。草田男ではないですが「明治は遠くなりにけり」の心境ですね。

■You Tube…「夢のカリフォルニア」TV出演のシーン:太っちょのキャス・エリオットがどうしても目につきますねぇ。彼女はジャズなどもこなすうまさを持った歌手でしたが、一番早くに逝ってしまいましたね。たしか32,3歳でしたか。
■楽譜と演奏について…イントロは2本のギターの掛け合いでないと弾けませんね。ちなみに、多重録音でコーラスも歌ってみたのですが、女性の声が入らないと雰囲気はでませんね!?でも、何度聞いても”のりのり”になる曲です。
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「福津市寸景~福間漁港と海浜公園」

020  昨日の続きです。西福間の道を北西へと辿れば024、やがて 視界が突然開け、一面の海が眼に飛び込んできます(左上)。ここは右側が福間漁港、それに隣接した左側が海浜公園で、公園には海に突き出た防波堤があり、そこから釣り人達が連日糸を垂れています(左中)。
 漁港には近海で漁をする船が繋留されています(左下)。また、捕れたての魚は漁港内023 の”朝市”で売られているようですが、寝坊の私はまだ朝市に行ったことがないん038ですよ(泣)。
 少し港から離れて、西郷川の河口へと行ってみました(右上)。河口付近の橋の上から見ると、遠くに相島(新宮町)や玄 界島(福岡市)が、開けた海と共に見えます。このような風景を見ていると、大海原のように心がゆったりとしてくるものです。精神衛生上、海を眺めることは良いことだなあと改めて思いますね。026
 橋の上から川上側を振り返ると、おや、廃線の西鉄宮地嶽線の鉄橋が撤去(シャレ?)されているようです(右中)。時代の変遷がここにも028 認められます。
 海岸近くに出て海を眺めてみました。細やかな砂の広がる砂浜と、幾重にも重なって平行に押し寄せてくる波・・・振り向くと真っ白なマンションが海を見下ろしていました。(右下)

 さて、私は今から次の日曜日のライブのために練習027にかからねばなりません。しばらく福津市の散歩はお預けです。

「福津市寸景~福間小学校から福間漁港への道沿い」

004_2      天気が良かったので、近くを探索に出かけま014した。同級生のMon-G君の真似ではないですが、自転車で散策してみました。
 左上は「福津市立福間小学校」の裏門です。恐らくこの石柱は「福間町立福間小学校」の正門だったのではないでしょうか。歴史が感じられます。
 それにしても現在「西福間」と呼ばれるこの地区は、道が細くて複雑です。区画整理031がなされていない昔ながらの道なのでしょうね。
 福間小学校の近くには「諏訪神社」(左中上)が奉られて います。寺社や神社は、周囲が変化しても昔の場所にあるものです。この町の変化をどのように見続けてきたのでし015ょうかね。
 この地点から数本の道が海岸へ向かって走っ ています。その内の1本を、「カットサロン・ヨシムラ」の前から辿ってみましょう。本町区の表示が見えます(左中中)。007
 しばらく行くと「宗像神社(宗像宮)」と書かれて看板に出会いました(左中下)。小さな社が3つ並んでいます。その1つには「芭蕉塚」と書かれた石碑が建っています(左下)。まさか松尾芭蕉ではないでしょうから、植物の芭蕉の事でしょうねぇ。芭蕉は、葉や根が薬 用になっていたのでその供養のためでしょう011か?
 その先には若干の狭い空き地がありました。どうやらこれは廃線016  になった西鉄宮地嶽線の跡地のようです(右上)。西鉄宮地嶽線の福間駅跡は、今や宅地用に整地されてしまっていました(右中上)。
 道は緩やかに左右にカーブを描きながら海へと続きます(右中中)。更に何本かの道と交差しています(右中下)。その途中に009「緑町公民館」と鳥居が隣り合わせにありました(右下)。ふくつミニバスのバス停が写っていますが、福津市には市内を循環する格安の小さなバスが走っているのです。
 さすがに海に近いので「今林海産物」と書かれたお店がありまし た(下左)。また、他

017

の家の軒先には干物を作っているのでしょうか魚が干されていました(下中)。なるほど、この近くは漁師町だったんですね。だい

たいどこでも漁師町は狭い道路と決まっていま

018

すから。それ019

022_3

にしても古い町並みです。でも何だか落ち着くのですよ、

021

このような風景は(下右)。
 まもなく海が眼前に見える地

点へときます。それはまた明日のお

しみと致します。

 

「福津市寸景~田園風景」

002  福間駅から西郷川に沿って山手へと道をさかのぼると、「内殿(うちどの)」を通り、見坂峠を越えて宮若市(旧宮田町と若宮町が合併して出来た市)へと向かいます(県道30号線)。この道は、JR九州のバス(旧国鉄バス)が昔から飯塚方面へと走っています。掲載写真は、JR福間駅からしばらく車で走った地点から、内殿方面を写したものです。福津市は、玄界灘に面しているので漁港もありますが、西郷川に沿っては緑の田園も広がっています。福岡市と北九州市の中間辺りに位置する利点を生かし、野菜や花々、穀物の生産が盛んな農業地帯でもあるのですね。この少し先に「西郷川花園」があり、コスモスが咲いていたのですが、この写真を撮りに行った日にはすでに刈り取られていました(失笑)。
 写真の背景に写っている山は「犬鳴山系」で、犬鳴山(熊ヶ城)(584 m)~西山(鮎坂山)(645m)が連なる山並みは、生まれ故郷の赤間からもよく見える山並みです。
 さわやかな緑色の風が吹き、実り多い大地を歩くと、地球の暖かみが感じられ、思わず感謝の気持ちが沸いてきます。「母なる大地よ、ありがとう」ってね。

「恋する二人」The Beatles(楽譜)

The_beatles6   今回は、The Beatlesの映画「A Hard Day's Night」から「恋する二人(I should have known better)」をアップです。とは言え、これも「Can't buy me love」同様に二度目の紹介ですが。
 1964年(昭和39年)8月に英・米・日本で同時に公開された映画「A Hard Day's Night」は、世界中の若者にビートルズの素顔を届けました。すでに彼ら4人はこの年2月にアメリカのTV番組「エド・サリバン・ショー」初出演(視聴率72%)と「カーネギー・ホール」公演も果たしていました。そして4月4日のビルボード誌では1位から5位までを彼らの曲が独占するという現象まで起きています。まさに”ビートルズ旋風”が巻き起こっていたのでした。ちなみにこの時の5曲は、1位「Can't buy me love」2位「Twist and shout」3位「She loves you」4位「I want to hold your hand」5位「Please please me」です。
 そのような最中の映画公開ですから、想像を絶する大反響だったことは当り前です。何しろ静止した「スチール写真」ではなく、”動き回る旬でライブな彼らの映像」がファンの眼前に繰り広げられるのですから世界中が大反響の渦に巻き込まれた訳です。
 1964年といえば、日本で「東京オリンピック」が開催された年でもありました。名神高速道路が開通し、東海道新幹線が開通し、羽田から浜松町までモノレールが開通してオリンピック準備が着々と進んでいました。変わったところでは、石原裕次郎主演映画(1970年)にもなった「富士山頂」の気象レーダーが完成した年でもあります。これで台風などの気象観測が飛躍的に進歩したのでした。
 1964年の映画公開時、彼ら4人は若かった!ジョンが23歳、ポールが22歳、ジョージが21歳、リンゴが23歳!当然、私も若かった、高校2年生!(笑)
 飛ぶ鳥を落とす勢いの彼らが提供したアルバム「A Hard Day's Night」中の楽曲は、すべてエネルギーに溢れています。今日の「恋する二人(I should have known better)」も明るい恋の歌です。ジョンの晴れやかな歌声と途中に入るファルセット(裏声)がそれを象徴しています。また、初期の頃よくジョンが使っていたホーナーのハーモニカも雰囲気を醸し出していますね。ただし、映画の映像と違って二重録音のためハーモニカを吹きながら歌うことはできませんのでご注意を!

■You Tube…「恋する二人」思い出の1シーンですね。女の子の一人がパティ・ボイドで、この映画がきっかけでジョージと交際が始まりました。まさに「恋する二人」になったのでした。映画の後半では再び取り上げられ、ジョンのがに股で歌う姿が印象的でした!→「ステージでのシーン
■楽譜と演奏について…G→D→G→Dと交互に繰り返すコードの響きをうまく演奏しましょう。ジョージの12弦ギターの音をどうしましょうかねぇ、私は12弦ギターを持たないので・・・。
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「福津市寸景~福間夜景」

001  今年の冬は、夏に引き続いて節電がすでに話題に上っています。九州電力は、”やらせメール問題”で世間を騒がせていますが、どのような幕引きを考えているのでしょうかね?古川佐賀県知事をかばうのはもう限界に来ていると思いますが・・・。
 さて、今日は、我が家のベランダから見える福間駅前近くの夜景です。ある日、私の家を訪れた知人の娘さん(当時中3)が「福間は都会やけん明るいバイ!」と言ったことがありました。なるほど彼女の家は旧玄海町の海岸線近くで、灯りが余りない地域ではありますが、その表現が妙に実感がこもっていたので印象に残ったのでした。当時、私は福岡市から引っ越004 してきてそれほど時間が経っていませんでした。「夜は暗いや、空に星が綺麗に見える」と思っていた私の感覚とのギャップになんだから可笑しさを感じたものでした。
 ”時”は町の様子をあっという間に変えてしまいます。昔見ていた福間の夜景と、現在の様子とは明らかに大きなギャップがあるでしょう。すっかり様変わりした様子に驚いている人もいるのではありませんか?少なくともMon-G君は!
 左上の写真は、左端にJR福間駅の駅駐車場が写っています。駅自体は手前のマンションで見えません。右へ進めば「大和町」の交差点、さらに「松原」を経て旭橋、さらには「花見」へと続く方角です。右の写真は現在の福津市役所から左手に手光方面を写したものです。共に旧国道3号線沿いの町並みです。

「福津市寸景~JR福間駅界隈~」

014_2  JR福間駅の写真は2011年9月24日に掲載しましたが、今日はその駅の前を走る県道30号線(旧国道3号線)沿いの風景をご紹介します。012
 北九州方面から白水峠を越えて来ると、JR東福間駅を過ぎ、「通り堂」「手光(てびか)」と言う意味ありげな地名に出会います。昔はこの一帯(宗像市の村山田辺りから)は「神興(じんごう)」と呼ばれていました。”神が興る”のですね。そして、その周囲を東郷、南郷、西郷と呼びます。北郷がないのは、北側が海に面するからでしょうか。”神興”の神とは、どうやら宗像大社に奉られている宗像三女神に関係があるようで す。
010  「手光」を過ぎて左へ道を折れると、緩やかな下り坂を経てJR福間駅に至ります。左トップの写真は、福間駅から手光方面を023撮影したもので、道の左側には、赤間方面に向かう西鉄バス福間駅前の停留所が映っています。昔ながらの雨よけの造りですね。
 JR福間駅前で、道は急に右に曲がります(右上)。曲がり角近くに は、今も「井原書店」が頑張っています。この本屋さんは私の高校時代からあったように記憶しています。また、道路左には福岡方面のバス停があり、津屋崎方面へもここから乗車します。
 しばらく行くと、「大和町」の交差点にさしかかります(左中)。写真は津屋崎・宮地嶽神社へ至る道です。この一帯は「大和町」と呼 んでいたのでしょうね。さて疑問?「わざわざ大和(日本)というのだから、その近くには日本以外の風情があったのでしょうか?」
 海に面する街で、しかも大陸、さらには”博多”に近いので貿易をしていた「大陸人」が多くいた可能性はあるでしょうね。福岡市中央区の唐人町のように。
008_2  大和町の交差点016を右へ曲がると、真っ直ぐに「宮地嶽神社」~「津屋崎」へと向かいます。そこに西鉄バス「大和町」のバス停がありました。(左下)
 津屋崎方面に行かずに、真っすぐ道を進むと「松原」とかかれた 信号があります(右中上)。多分、昔々はこの近くまで海岸線があったのではないでしょうか。その信号の近くに「小烏神社」という小さなお宮があります(右中下)。昔から、この道路沿いにある神社は気になっていました。旧国道3号024線をバスで通るたびに前を素通りしていたからです。調べてみると、昔は「風止神社」と呼んでいたものが「小烏神社」となったようです。おそらくは、福間の氏神様として親しまれてきたお神様なのでしょうが今は・・・・。津屋崎には「波折神社」があります。共に航海の要所として安全・無事を祈願するために建てられたのでしょうね。
 その「小烏神社」を過ぎて福間駅から遠ざかると、やがて「旭橋」から古賀市方面へと向かいます。右下の写真は、「旭橋」に向かう道を写したもので、以前の電電公社のアンテナが見えます。その下には郵便局があります。

 そう言えば早いもので、年賀はがきが売り出されたんでしたね。わあ、1年が終わりに近づくんですね。早いなぁ!

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